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平原綾香 jupiter を語るつもりが何故かクラシック音楽を語る事に

 

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平原綾香 jupiter を語るつもりが何故かクラシック音楽を語る事に 

2003年に発売された、平原綾香のシングル曲「Jupiter」

この曲が有名なクラシック音楽の一節を引用した曲である事は有名。

 原曲は 、グスタフ・ホルスト作曲、組曲 惑星より「木星

 組曲 惑星 と言うだけあってその当時発見されていた地球以外の

水金火木土天海

、、、、、。

こうやって書くと最後に天海祐希の顔が出てくる。もしくは「天海」と言う僧侶が(⌒-⌒; )

 

何せこの7つの惑星にそれぞれイメージで表題をつけて作曲されたもの。何かを描写するのではなくあくまでその惑星それぞれのイメージで。

曲の並びは実際の並びと違う。曲の構成を考えての事かなと。

・火星 戦争をもたらす者

・金星 平和をもたらす者

・水星 翼のある使者

木星  快楽をもたらす者

土星  老いをもたらす者

天王星 魔術師

海王星 神秘主義

全曲演奏するとだいたい50分。Jupiterの原曲「木星」だけだとだいたい8分ぐらいはかかる曲。自分は小学生の頃からこの木星は知ってた。忘れもしない。

FMで聴いて録音した

スコットランドナショナル管弦楽団

の演奏だ。

 

肝心な事は忘れてるのにこういう事だけピンポイントで覚えてる(⌒-⌒; )

 

日本では「Jupiter」が流行った事で穏やかなイメージがあると思うが、この木星に付けられた表題は「快楽をもたらすもの」非常に快活な前半部分と、andante  maestoso(ゆっくり 堂々と)と記された有名な中間部(これが平原綾香のjupiterのメロディ)そして再び調を変えた激しく快活な再現部からラスト。

 

全曲演奏するにあたっては scherzo(スケルツォ。意味は遊び)的な役割を持つ。

 

はっΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

 

ここまでで尺取りすぎ(⌒-⌒; )

 クラシックの事を語り出したらカラオケ以上に止まらん(⌒-⌒; )

 

さて、何が言いたかったかと言うと、この平原綾香の「jupiter」が流行り出した時、クラシック音楽をやってる人の中には批判的な事を言う人がチラホラ。

 

あんな有名なメロディーにしょーもない歌詞つけやがって!

 

と言うニュアンスの批判が。

クラシックを作曲、演奏、評論する人達の中には邪道なものを否定する傾向がある人が多数いる。確かにクラシックと言うのは形式があって成り立つもの。その形式を崩すにはものすごくしっかりした理由、理論がないといけない。

 それに沿わないものは「音楽にあらず」

 と言わんばかりの批判をする。

平原綾香の「jupiter」はJ-POPもしくは「ネオ・クラシック」と言うジャンルになる。

ネオ・クラシックとはクラシック音楽をポピュラー的にアレンジしたもの。

 

クラシック関係の一部の人間はそれを音楽とは認めにゃい(あまりに文章が硬いので崩してみました(⌒-⌒; ))

 

しかしよく考えてみて欲しい。

自分みたいにクラシックが好きで聴きまくる人間は何でも聴く。しかしだ、クラシック人口なんてそんな多くはない。

この平原綾香の「jupiter」が流行った事でどれだけの人々がこの原曲の「木星」を耳にし、この素敵なメロディーを知らなかった人が知り、CDも100万枚、ダウンロードは160万回にも及んだわけだ。

 

組曲 惑星

と言うといかにもお堅い感じで入って行きにくいが

 

Every day I listen to my heart

一人じゃない

 

で入っていけた人はたくさんいたはず。

 

確かに、クラシック音楽の形式ばったもの、それは絶対に守らないといけないもの。

よく指揮者不要論とかも一般の人からは出たりもするが、

「ありえない」

演奏者側としてはもちろん良い演奏をするために必要なもの。ただ演奏するだけなら指揮者なんていなくてもどうにでも演奏出来る。しかし指揮者が変わるだけで全く違う演奏になるもの。

それもそうなんだけど、

オーケストラのコンサートと言うのは、開演のベルが鳴って一旦照明が落ちて、静寂の中舞台袖から出てきた指揮者の足音からもう音楽は始まってる。

そこに究極の形式美がある。

 

古くから守られて来たものは守らないといけない。

 

しかし新しいものを批判するのは違う。

 

クラシック音楽の中にはたくさんの美しいメロディーがある。J-POPの流行りのような爆発力はないが、何百年と聴き続けられている普遍的なものがある。著作権云々の問題はあるが(作曲者の死後50年は無許可で手を加える事はご法度)

 

様々形を変えてそれが演奏し続けられる事は素晴らしい事だと思う。