カラオケ DAMとも お悩み相談室

カラオケブログです。DAMともだけに留まらずカラオケやJ-POP全般についてカラオケ目線から様々書いて行きます。

卒業ソング⑤ 旅立ちの日に 合唱曲

卒業ソング⑤ 旅立ちの日に 合唱曲

www.youtube.com

 

1991年に、埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作詞作曲された合唱曲。作詞は当時影森中学の校長であった小嶋登氏。作曲は音楽教諭の坂本浩美氏。

 

我々が中高を卒業する時には残念ながらこの世に存在しなかった歌ですね。歌詞的に我々の時代に大流行した「巣立ちの歌」のようなわかりやすい歌詞の歌と言うのと、この曲の作られた過程と言うか背景が、巣立ちの歌に代わって旅立ちの日にを「日本で一番歌われる卒業式ソング」にしたのだろうと思います。

 

 

旅立ちの日に

作詞 小嶋登  作曲 坂本浩美

 

白い光の中に 山並みは萌えて

はるかな空の果てまで 君は飛び立つ

限りなく青い空に 心ふるわせ

自由をかけるる鳥よ 振り返ることもせず

 

勇気を翼に込めて 希望の風に乗り

この広い大空に 夢を託して

 

懐かしい友の声 ふとよみがえる

意味もないいさかいに 泣いたあの時

心通った嬉しさに 抱き合った日よ

みんな過ぎたけれど 思い出強く抱いて

 

勇気を翼に込めて 希望の風に乗り

この広い大空に 夢を託して

 

今 別れの時 飛び立とう 未来を信じて

弾む 若い力 信じて

この広い この広い 大空へ

 

 

今 別れの時 飛び立とう 未来を信じて

弾む 若い力 信じて

この広い この広い 大空へ


 

旅立ちの日に

解説Wikipedia

秩父市立影森中学校の校長だった小嶋は当時、荒れていた学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やした。最初こそ生徒は抵抗したが、音楽科教諭の坂本と共に粘り強く努力を続けた結果、歌う楽しさによって学校は明るくなった。

「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2月下旬、坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい‼︎」との思いから、作詞を小嶋に依頼した[3]。その時は「私にはそんなセンスはないから」と断られたが、翌日、坂本のデスクに書き上げられた詞が置かれていた。その詞を見た坂本は、なんて素適な言葉が散りばめられているんだと感激した、とラジオ番組への手紙で当時を振り返っている。その後、授業の空き時間に早速ひとり音楽室にこもり、楽曲制作に取り組むと、旋律が湧き出るように思い浮かび、実際の楽曲制作に要した時間は15分程度だったという。

出来上がった曲は、「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けてサプライズとして歌われた。この年度をもって小嶋は41年に及ぶ教師生活の定年を迎えて退職したため、小嶋が披露したのはこれが最初で最後となった。元々はこの1度きりのため作られたはずであったが、その翌年からは生徒たちが歌うようになった。

作詞者の小嶋は2011年1月20日に80歳で死去した[4]が、同年11月14日に『旅立ちの日に』が誕生から20年の節目となることを踏まえ、作曲者の坂本と共に、埼玉県より「彩の国特別功労賞」(同賞創設以来4番目)が贈呈された[5]。

卒業式の定番曲に編集
出来てからしばらくは影森中学校だけで歌われた合唱曲であったが、次第にまわりの小中学校でも歌われるようになった。当時東京都の中学校で音楽教諭を務めていた作曲家の松井孝夫は、この曲を知ると混声三部合唱への編曲を行った。これが雑誌『教育音楽』に取り上げられたことで[6]、1998年頃までに全国の学校で歌われるようになった。さらには、2004年3月に『情報ライブ EZ!TV』で取り上げられたことや、2007年にSMAPが出演するNTT東日本のCMソングに起用されたのをきっかけに、小中高校の卒業式で定番のように歌われていた『仰げば尊し』や『巣立ちの歌』、『贈る言葉』などを抜き、全国で最も広く歌われる卒業式の歌となった

 引用、wikipedia

 

という事です(;^_^A

1991年と言えばまだヤンキー全盛時代でしょうかね。当時の影森中学校の荒廃ぶりは自分にはわかりませんが、結構荒れた学校に「合唱」というものを根付かせるのは本当に大変な苦労だっただろうと思います。

 

自分が通ってた中学校は相当荒んだヤンキー校で、本当に学校の廊下をバイクが走ってるような学校でした。時間外で合唱どころか、音楽の授業の合唱ですら声を出せば後でヤンキーに殴られる。合唱コンクールなんかはピアノの音だけで誰も歌わないクラスもあったりしました。

なんというか、勉強でも、スポーツでも、音楽でも、それがたとえ部活であっても、一生懸命に何かをやる事を妨げる生徒が多数いたんです。

影森中学校はそこまでの状況ではなかったのかもしれませんが、生徒って「余計な事」をすることを嫌います。やってみればだいたいのことは「楽しい」と感じるものですが、「楽しい」と感じる前に止めてしまう、もしくは拒絶してしまうのがその年頃。それに熱中させるまでに持ってくのはなかなか難しい。

 

関わった先生方の熱意と努力が実を結んだと言うことでしょうか。

 

そしてこの歌は卒業式の合唱曲として全国の学校で歌われるようになる。

 

なんと素晴らしい。

 

この曲のポイントと言うか、この曲を劇的にしてるのは、思い出を語りつつ大空へと言う歌詞の内容ももちろんですが、

 

今 別れの時 飛び立とう 未来を信じて

弾む 若い力 信じて

この広い この広い 大空へ

 

と言う、いわゆる「Cメロ」の部分。そこまでの曲の進み方がちょっとどこがサビだかわからないぐらいのものが、このCメロでクライマックスを作り、ユニゾン主体だった合唱も各声部が絡み合うような構成になっている。

 

非常に劇的な構成ですね。

 

最初の部分は冷静に歌えても、二度繰り返すCメロで、多分自分なら泣いて歌えなくなります(⌒-⌒; )

 

旅立ちの丘

 

秩父市にある秩父ミューズパークにはこの旅立ちの日にを記念した「旅立ちの丘」と言うものがあります。

f:id:utamarox:20200229100439j:image

 

先生から生徒へ。

たった一度の贈り物だった卒業ソング「旅立ちの日に」は、秩父の中学校から全国へと歌い継がれていきました。
そんな大切にしたい「夢や希望」を旅立ちの丘で思い出してみませんか?

秩父市では、全国各地で歌われている卒業ソング「旅立ちの日に」の発祥の地「秩父」をPRし、さらに広く歌い継がれていくことを祈念して『旅立ちの丘』をつくりました。

このモニュメントは、展望デッキとなっていて、メロディーが流れる通路を進み、先端のステージでは、誕生の舞台となった影森中学校の生徒によるコーラス (H17年12月:音楽堂にて録音)が流れます。 また、モニュメントの手すりは五線譜をイメージ、ここに夢や希望のことばを書き込んだ「土鈴」「絵馬風の木札」を音符のように吊すことができます。

 

秩父ミューズパークHPより引用

 

卒業式で「旅立ちの日に」を歌った生徒さんたちは、卒業後や数年経ってからこの丘を訪れてみると、そこに流れるメロディーによって当時に想いを馳せる事が出来るかもしれませんね。

 

と言うか

 

ここに来たら歌っちゃいますわな(⌒-⌒; )