本日のブログは、
歌は歌でもカエルの合唱です。
先日の大雨で水が溜まった田んぼ。そして今は水を満たし既に田植えが終わってる田んぼもある。車で通りかかって聴こえてきたのがこのカエルの合唱。
ただカエルがゲロゲロ泣いてるだけです。カエルの映像はありません。
自分が今住んでるのは愛知県名古屋市。
名古屋市中心部まで車で15分ぐらいの住宅地。
自分の家の近くにも一応田んぼはある。
とは言え、家一軒分ぐらいの田んぼが二つあるだけ。
自分、夏は嫌い。
だって
暑いし(⌒-⌒; )
名古屋の夏は異常。
最高気温38度、最低気温28度、湿度80%以上が日常。
これ好きな人いない。
でもこの季節、ひとつだけ好きなものがある。
自分、今は名古屋に住んどる(あえて名古屋弁で)
祖父母の家が兵庫県の当時の加東郡と言う所にあった。(今は市町村合併で加東市)
当時のその付近はものすごーいど田舎で、一時間に一本バスがある程度の所。
千鳥の漫才じゃないけど、
上半身裸で畑仕事しとるおばあさん
居たし(⌒-⌒; )
でまた祖父母の家が凄い場所にあって、子供の頃の感覚だから本当はそんなに広くなかったかもしれないけど、多分まわりを歩いたら2キロやそこらはあったんじゃないかと思うようなだだっ広い田んぼの中に家があったんです。広い道から道路が田んぼの中に入っていくような感じの場所に。
夏休み、野球と音楽の大会が8月の頭にあって、それが終わったら自分、祖父母の家に行くんです。小学生なのに一人で新幹線に乗って。
夏休みの終わりまで1か月ぐらい、もう片方の祖父母の家も含めてその辺で過ごすのが小学生時代の自分の夏休み。
その辺ど田舎なのでまわりは自然だらけ。
まわりは山がたくさん。川もすぐ近くにあってその付近の水が日本名水百選に選ばれた事もあったそうです。クワガタやカブトムシも普通にいたし。さらに季節の変化も都会よりは早く色濃い。8月も後半になると気温も下がり赤トンボが飛び回ってた。昼間はうるさいぐらいにセミが鳴き、夜はカエルの合唱が四方から聴こえる。
それが日常。
だから今でもカエルの合唱を聴くと当時の風景が蘇る。蘇るどころか本当にその当時の祖父母の家にいるかのような錯覚になる。
自分が四十を超えもう五十手前になってるわけで、当然のように、
もうそこには誰も居ない。
自分、1か月近くもそこに居たわけで、帰る時には「帰りたくない」と泣き叫ぶ子だった。
じーちゃんばーちゃんとまた一年会えない。
それが嫌で嫌で帰る前の晩から泣き腫らすほど。
毎年の事だけど毎年泣き叫んでました。
小学生なのに一人で新幹線に乗って自分の家に帰る。
あまりに心配だからとじーちゃんがいつも新幹線一駅乗ってくれて、それでも泣き止まない子供をまわりの大人が慰めてくれる。
そんな感じでした。
中学になって部活を始めてからは行くのは毎年行ってたけど滞在期間は4日間とか。中学生はもう泣かない。しかし、それでも本当は泣きたかった。でも泣かない。
意地を張る事を覚えたんですね(⌒-⌒; )
こうやって文章書いててもじーちゃんばーちゃんはもちろん、近所の人の顔、付近の風景、匂い、当時の自分の気持ちまでもが全て蘇って来る。
家は小さな木造家屋。玄関入ると黒電話と福助人形。
防災無線のスピーカーがあってそっから時々声が聞こえるのが怖かった。
ボロい家だから歩くとミシミシ。
なんか知らんけど棚に電話帳がいっぱい入っててその上に白黒テレビがあった。
風呂は薪で沸かしてた。
じーちゃんばーちゃん、よく喧嘩してた。
ばーちゃんの作るカレー、タマネギめちゃデカかった。
完璧にレイアウトされた盆栽の数々、動かしてめちゃ怒られたし(⌒-⌒; )
いつも9時には寝るじーちゃんばーちゃん。帰る前の日は夜中まで遊んでくれた。
今これを書いてる自分、あの頃のままだ。
カエルの合唱が聴こえれば
すぐにでも当時に戻る。
自分、夏は嫌い。
でもひとつだけ好きなものがある。
それが
カエルの合唱
意地を張る事を覚えた自分
泣いてません。