<p>今週のお題「平成を振り返る」</p>
昭和の時代は歌謡曲の歌詞を書くのは「作詞家」の仕事。当時から自分で歌詞も曲も書いてさらに自分で歌う「シンガーソングライター」と言うアーティストはいたが、それは特別な存在。バンドブームの到来と共に、素人が歌詞も曲も書くと言う時代が来たわけです。
それまでの歌詞と言うと、例えば
ピンクレディー、U.F.O.
言葉は無くてもなんでも分かり合える。私の事を何でもわかってくれる。
を宇宙人の特殊能力として歌詞を作ってる。
例えば、谷村新司 22歳
22歳になれば少しずつ臆病者になるわ、何故かわかるあなた?
言い回しが遠回しですよね。結婚するつもりだったのに。と言いたい。
私の髪のタバコの匂い、消えるまでの思い出
やっぱり遠回しですよね。
あなたの事はすぐに忘れてしまう。と言いたい。
それがだんだんと文学的な表現より自分の言葉で歌詞を作るようになって行ったんですね。平成の時代は。
それでもまだ1980年代は作詞家の歌詞の方が多かったし、バンドブームで出て来たバンドにしてもどちらかと言うと「カッコつけた」表現が多かったし、ビジュアル系に至っては響きがカッコいいワードを並べただけで何が言いたいかさっぱりわからんよーになってるし(⌒-⌒; )
森高千里の登場
吉田拓郎曰く
「森高千里は俺たちが必死で作ってきたものを一瞬でぶっ壊した。」
これは怒りを込めての言葉ではなく驚愕の言葉らしい。
森高千里の歌詞ってのは、歌用に作られたものとは到底思えず(⌒-⌒; )普段の生活で友達と話してる言葉にメロディーをつけただけの感じ。これ以上のストレートはないわな。さらにそれは自分の思いとかではなく、客観的に自分や友達、さらには世間を見て、それを自分の言葉で語る。そこそこコミカルに。まー、稀有なスタイルだ。
・気分爽快
飲もう!今日はとこーとん付き合うわよー。
(⌒-⌒; )
なんせこの曲は、同じ男性に憧れていた自分の友人がその男性と付き合う事になった時の物語。
やったね おめでとう
いよいよあいつとデートか
まったく やるわね 私の知らないうちに
2人して 彼に憧れてたから
辛いけど OK ビールで乾杯
飲もう 今日はとことん盛り上がろう
聞かせてよ 彼との出会い 遠慮せず
飲もう 今日はとことん付き合うわよ
私もさ 好きだったんだから
精一杯の痩せ我慢。本当は辛い気持ちを押し殺して友達の為に明るく振る舞ってるんだよね。
出来るなら 今夜帰りたくないな
泣き虫な私 早く恋しよう
後半本音が登場。
・私の夏
きーめーた!キレイな海を見ながらー、一日中寝ていよう。色気も忘れて、太陽の下でゴロゴロしよー
(⌒-⌒; )
・私がおばさんになっても
私がーおばさんになーったら、あなたはおじさんよ。
(⌒-⌒; )
インパクトありますなー。
90年代中盤になってくると小室サウンドが台頭。軽快なシンセサイザーのリズムに乗って、silver&gold danceやez do dance等平成始めのディスコミュージック的な音楽から、ダンスミュージックに変わりはないが次第にテクノポップ的な音楽になって行く。
この頃からの大きな変化は「ラップ」が曲の中に普通に入るようになってくる。ヒップホップ的なラップではないが、ディスコのDJがやってる感じのね。ラップと言うスパイスを効かせる事でまた新しいものに感じる。
桑田佳祐や大黒摩季、B’zなんかも積極的にラップを取り入れたね。
ユニットと言う概念の発生
ユニットと言って役割がこうでなくてはならないと言うものはなく、二人以上でグループを組む事をユニットと言うようになった。ボーカルとダンサー、DJと言うディスコミュージックやヒップホップさながらのスタイルを、J-POPに持ち込んだ。
本格的ヒップホップの台頭。
日本における最初のラップを含む音楽は
なんと、意外にも
吉幾三(⌒-⌒; )
「俺ら東京さ行ぐだ」
は〜テレビもねぇ、ラジオもねぇ、車もそれほど走ってねぇ。
これ、ラップなんよね(⌒-⌒; )
それまでも当たり前だがヒップホップと言うジャンルは存在したが、一部のコアなファンのものでしかなかったのが、m.c.A.T.、スチャダラパー、EAST END YURIなどの登場で一気に一般に広められた。その後のWEST END YUKI、ゲイシャガールズも完全にヒップホップだね(⌒-⌒; )